ニュースとコメント

2017年04月17日号

【評伝】
司法改革の道筋を残した元検事総長・原田明夫氏の生涯(1)


●司法ジャーナル
「司法ジャーナル」は7日更新号の「ニュースとコメント」で次の記事を配信した。

●時事通信
「時事通信」は6日、「元検事総長の原田明夫氏死去」という見出しで次の記事を配信した。


 原田 明夫氏(はらだ・あきお=元検事総長)6日午前2時52分、肺炎のため東京都内の病院で死去、77歳。

 東京都出身。葬儀は15日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻朋子(ともこ)さん。

 65年検事任官。75~78年の在米日本大使館一等書記官時代にはロッキード事件の捜査に携わった。法務事務次官、東京高検検事長などを歴任して01年検事総長に就任。退官後は弁護士登録し、11年から皇室の重要事項について天皇陛下の相談役となる宮内庁参与を、13年からは原子力損害賠償・廃炉等支援機構の運営委員長を務めた。 

●読売新聞
「読売新聞」は6日、「元検事総長の原田明夫氏が死去…宮内庁参与も」という見出しで次の記事を配信した。


 元検事総長の原田(はらだ)明夫(あきお)氏が6日、肺炎で死去した。

 77歳だった。告別式は15日午前11時、東京都港区南青山2の33の20青山葬儀所。喪主は妻、朋子さん。

 兵庫県出身で、東大法学部を卒業後、1965年に検事任官。76年のロッキード事件では在米日本大使館の1等書記官として、ロッキード社元副会長らの嘱託尋問などを実現する窓口役になった。法務事務次官などを経て、2001年7月から04年6月まで検事総長。退官後は弁護士となり、11年から皇室の相談役となる宮内庁参与、13年から原子力損害賠償・廃炉等支援機構運営委員長を務めた。

●朝日新聞デジタル
「朝日新聞デジタル」は6日、「元検事総長の原田明夫さん死去 法務事務次官など歴任」という見出しで次の記事を配信した。


 法務事務次官や検事総長として司法制度改革に関わった弁護士の原田明夫(はらだ・あきお)さんが6日、肺炎で死去した。77歳だった。前夜式は14日午後5時30分、葬儀は15日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻朋子さん。

 法務省刑事局長などを歴任し、01年7月~04年6月に検事総長を務めた。ロッキード事件では、在米日本大使館1等書記官として米国側と資料の引き渡し交渉にあたった。検事退官後は宮内庁参与や、政府の原子力損害賠償・廃炉等支援機構運営委員長を務めた。

●産経ニュース
「産経ニュース」は6日、「元検事総長の原田明夫氏死去」という見出しで次の記事を配信した。
 原田明夫氏(はらだ・あきお=元検事総長、弁護士)6日、肺炎のため死去、77歳。前夜式は14日午後5時半、葬儀・告別式は15日午前11時、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻、朋子(ともこ)さん。
 東大法学部卒業後の昭和40年任官。法務事務次官、東京高検検事長などを経て平成13年に戦後23代目の検事総長に就任。在米日本大使館1等書記官時代には、ロッキード事件で日本の法務・検察と米司法当局との橋渡し役を務め、前例のない嘱託証人尋問の実現に奔走した。
 検事総長在任中、鈴木宗男元衆院議員があっせん収賄罪などで起訴された事件の捜査を指揮。14年には大阪高検公安部長(当時)の収賄・詐欺事件の監督責任を問われ、戦後初めて検事総長として戒告処分を受けた。
●鷲見一雄のコメント
「赤レンガ派の代表的な存在、原田氏は77年の生涯を閉じた。1965年任官(17期)、官房会計課長なども務めたが、現場派の石川達紘弁護士が同期だ。1975年~78年7月、在米日本大使館1等書記官、この時から検事総長は約束されていた。法務省刑事局参事官、総務課国際犯罪対策室長、公安課長、刑事課長、総務課長、官房人事課長、などを務め上げ盛岡地検検事正、最高検検事、官房長、刑事局長、事務次官、東京高検検事長を経て検事総長に01年7月~04年6月と3年近く在任、恵まれた法務・検察官僚人生だった、と思う。ご冥福をお祈りします。合掌」
(司法ジャーナル)

●鷲見一雄の視点
 原田氏は77年の生涯を閉じた。15日、青山斎場で告別式がしめやかに営まれた。そこで同氏を偲ぶことにする。

 原田氏は1934年(昭和14年11月3日、東京生まれ。

 兵庫県立龍野高校卒業、1963年(昭和38年)東大法学部卒。在学中司法試験合格、1963年(昭和38年)司法修習生、1965年(昭和40年)司法修習修了

 以後の経歴について「ウイキペディア」を引用させてもらい辿る。

1965年(昭和40年)東京地検検事任官(17期)。以後、岡山、福井各地検勤務。
1975年(昭和50年)在アメリカ合衆国日本大使館一等書記官。
1978年(昭和53年)8月 法務省刑事局参事官、12月東京地検検事
1981年(昭和56年)法務省刑事局参事官・同局総務課国際犯罪対策室長・法務総合研究所教官
1983年(昭和58年)法務大臣官房司法法制調査部司法法制課長
1984年(昭和59年)法務省刑事局公安課長
1985年(昭和60年)法務省刑事局刑事課長
1986年(昭和61年)法務省刑事局総務課長
1988年(昭和63年)法務大臣官房人事課長
1992年(平成4年)盛岡地検検事正
1993年(平成5年)最高検検事・法務省官房長
1996年(平成8年)最高検検事・刑事局長
1998年(平成10年)法務事務次官
1999年(平成11年)東京高検検事長
2001年(平成13年)7月2日、戦後23代目の検事総長に就任。
2004年(平成16年)6月25日検事総長退任。

2004年(平成16年)10月弁護士登録(第一東京弁護士会)。弘中総合法律事務所
2005年(平成17年)5月サマンサタバサジャパンリミテッド社外監査役
2005年(平成17年)6月住友商事、資生堂社外監査役、セイコー社外取締役
2005年(平成17年)7月東京女子大理事長
2006年(平成18年)6月三菱UFJファイナンシャル・グループ社外取締役
2009年(平成21年)10月日本郵政社外取締役。株式会社企業再生支援機構監査役
2009年(平成21年)12月25日三菱UFJフィナンシャル・グループ社外取締役退任
2011年(平成23年)1月株式会社企業再生支援機構社外取締役・企業再生支援委員会委員
2011年(平成23年)6月宮内庁参与
2013年(平成25年)6月住友商事社外取締役
2013年(平成25年)11月原子力損害賠償支援機構運営委員長
2014年(平成26年)3月28日 山崎製パン社外取締役
その他、国際民商事法センター理事長、グルー・バンクロフト基金評議員、社団法人・日本倶楽部理事なと゜を務めている。

(以上、ウイキペディアを参考にまとめた)
●鷲見一雄の傍目八目
 原田氏の77年の人生は大きく分けて3つになる。第1期は(昭和40年)司法修習修了まで、第2期は検事任官から平成16年6月25日検事総長退任まで。第3期は平成16年10月弁護士登録から29年4月6日、亡くなるまでだ。私は第2期について述べさせていただく。(続く)


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